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渋谷・コクーン歌舞伎 佐倉義民傳 [その他]

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京都三日目は後回し。忘れないうちにこちらの話を。

演出・美術
 串田 和 美

出演
 中村 勘三郎
 中村 橋之助
 中村 七之助
 笹野 高 史
 片岡 亀 蔵
 坂東 彌十郎
 中村 扇 雀

特に中村屋さんの追っかけでもなく、歌舞伎は大好きだけど現代の「演劇」というのは積極的に苦手なもんで、コクーン歌舞伎は今迄全く興味なかったのですが、歌舞伎が観られないことにストレスを感じてついチケットを購入。例えて言えば、寂しさに耐えかねて好きでもない男のベッドに潜り込んでしまう感じとでも申しましょうか、、。なので、これを「歌舞伎」として観る気は全然なくて支持率43%位の気持ちで観に行きました。

本作の初演は1851年、下総佐倉の名主・木内宗吾が領主の厳しい年貢の取り立てに苦しむ領民のために、江戸へ出て将軍に直訴した事件を扱ったものです。

舞台の上には教室にある教壇みたいな舞台が置かれていて、これに実際の土が敷かれています。この舞台を黒子が引いたり回したりする事によって「回り舞台」の役目を果たしているんですね。ナルホドな〜と感心。柔らかいオレンジ色の照明も灯りの暗い農村をイメージさせ、物語にマッチしています。

勘三郎演じる主人公の木内宗吾は百姓一揆を求める農民達を必死で押さえます。何度裏切られても人間の「善意」を信じているおめでたい男で見ていてイライラ。そんな観客の気持ちを代弁するかのような狂言回し的役・駿河弥五右衛門を演じるのが橋之助で、これが非常に面白い役。

前半ラストで宗吾は領主への直談判を決意するんですが、この時の「ダンサー・イン・ザ・ダーク(ラース・フォン・トリアー監督)」的演出(分かります?、、笑)には、宗吾を待ち受ける暗い運命を予感させてちょっと鳥肌が立ちました。

この時点で私の支持率は86%位に上昇。非常に丁寧で本格的。悔しいけれど面白!

後半、宗吾の直談判を快く受けた領主ですが、それは単なる安請け合いで農民を助ける気などはさらさらない。それを宗吾に気付かせたい駿河弥五右衛門は「宗吾が将軍直訴に出る」と密告、これによって宗吾はお尋ね者に。

宗吾は初めて自分のおめでたさに気付く訳ですが、このシーンがいい。胸が締め付けられます。宗吾は死罪覚悟で将軍への直訴を決意。その姿に、ずる賢く自己中心的に生きているかに見えた船頭の甚兵(笹野高史)が男気を見せ、罪を覚悟で降りしきる雪の中船を出す「甚兵渡しの場」で感動は絶頂に達します。もうこの辺から号泣モードに突入し、その後の「子別れ」では鼻水が止まらない状態に、、。

本家歌舞伎バージョンは観た事がないのでわからないのですが、この辺の流れは多分歌舞伎だともっとクドクドやるはず。現代人向けにはこれ位のスピードアップが必要でしょうねぇ。それと、歌舞伎を観ていていつも気になるのが子役のセリフ回しです。

あの子役独特のセリフ回しは別にウケを狙ってる訳じゃなく、子役としての決まった話し方なのです。にも関わらず、舞台が悲痛な子別れであっても観客が毎回必ず笑うんですよね。これにはホントにうんざりさせられるのですが、まぁしかたないと言えばしかたないのかもしれない。子役にも普通にしゃべらせるという思い切った改革があってもいいのではないかと常々思っているんですが、今回普通のセリフ回しで父にすがる子供がいじらしく、更にその気持ちを強めました。

将軍への直訴は果たしたものの、自分と妻ばかりか幼い子供達3人まで無惨に処刑された宗吾は、磷付台の上で領主を初めとする政府の圧政を呪って死にます。その後領主を祟るという所がきれいごとじゃなくてイイ。絶対的な絶望というのは現代の日本ではなかなか描ききれません。

と、ここまでは素晴らしい傑作!とコーフンしていたのですが、この後のオーラスで出演者全員がラップにのせて「yo!yo!宗吾!闘ってる!天安門、イラク、そして他国に占領され続けている沖縄!その闘いは今も続いている!他人事じゃない!(歌詞の細部は忘れました。イメージです)」てな具合に拳を突き上げて唄い出したのには興ざめ。いきなり鼻白んでしまいました。

ラップの使用は今回の目玉らしいけど、現代感覚=ラップって安易すぎないか?確かに意味的な部分では近頃の甘っちょろい応援ソングよりマッチしてはいるが、私の感覚だと日本語のラップって英語を無理矢理日本語に訳して唄うミュージカルみたいな感じで非常にこっぱずかしい。何より決定的にコトバとリズムのズレが気になるのです。「ラップにノれた」ってのをまるで若い感性のリトマス試験紙みたいに扱う向きもあるが、ホントにそうか?

そして、そんな風に物語を結論づけてしまえば観客は「あ、そういう話なのね」と納得して終わってしまうのでは?心に何かひっかかる、これはどういうことなんだろう?と考える事が重要じゃないかなぁ、と私は思います。

歌舞伎の終わりはいつもそんな感じ。「で?」って。それがいいワケよ。解釈は観客にまかせる。そういう懐の深さが歌舞伎の魅力なんだと改めて強く思いました。

それにしても、この手の話に接すると白土三平の「カムイ伝」(「カムイ外伝」じゃないよ)を思い出します。あちらは部落差別も加わってもっと悲惨、その拷問は肉体的精神的にそこまで考えつくか?と人間というものの底知れないダークサイドをこれでもかと見せつけられます。こういった事が心にひっかかるので「侍ブルー」なんて無邪気に言う気がしないんだよな〜。日本は「侍の国」じゃないっつーの。

あと気付いたのが歌舞伎座との観客層の違い。歌舞伎座には本当に様々な種類の観客が来てるんですよね。服装とか年齢とか出身とかね、実にバラエティに富んでいる。コクーンの観客はいかにも富裕層って感じでしたね。高そうなセンスの良い洋服を着たマダムや紳士。因に私はジーパンと無印良品の白シャツ。

なんやかや文句も言いましたが、色々と発見があったし、刺激も受けた。面白かった。観て良かったと心から思います。こんなに長い感想を書いちゃったのがその証拠、笑。



始めての [その他]

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ヅラ。

3種類の中から選びました。ひとつはプラン内の料金で収まる古いタイプのヅラだとかでスゲー重い!気を抜いたらガクっと後ろに首が倒れそう。これはムリっす。次はトップが高目に結ってあるやつで随分と軽い。これら二つは人毛使用なんですって。結局決めたのは化繊のヤツで更に軽いし、形も小さめで一番違和感が少ないかなと。因みにプラス28,000円。ビミョーな金額っス。

ま、誰でも思うんだろうけど、想像通りヘンです。特に私は不本意ながら日に焼けちゃってるんで、黒い顔にこのズラを乗せると、なんつーか、時代劇に出てくる野良作業中の農民風?

式の後は付け毛と生花の洋髪(プラス29,500円)で会食って事になったのですが、まあ、一連の打ち合わせで実感したのは「これは40過ぎてからやるもんじゃない」って事ですね。できるだけ落ち着いたクラシカルな感じを選んだけど、やっぱり写真に撮って見たりするとオバサンが無理してる感アリアリ。取りあえず白髪はちゃんと美容院に行ってギッチリ染めよ。

特に顔に関してヒシヒシと感じる老化現象は「全てが下がっている」という事ですね。これは40過ぎて突然やって来た気がします。仕事やら何やらでキリキリと日々を過ごし、疲れ果てて重力に身をまかせていてはサゲるばかりなんだな。意識して顔だけでもアゲで行かねば!!

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